人間も試行錯誤して更新していくし


自分の過去のブログ記事のひとつを読んだ。
超人気ブロガーである「ちきりんさん」の書かれた内容に関してのものだった。

ゆるく生きる。
あっさり書かれたものは、こころを楽にしてくれる。
が、これには、行間に別の意味がある。

有能で努力している人が、数々の実績を積んだ上、得た結果である「ゆるく生きる」を、
無能で努力していない人が、なにも実績を残さず、表面に現れる結果だけをひょいっと自分に当てはめて「ゆるく生きる」。

これは、違うんじゃない?
と、ちきりんさんは、さらりとイヤミなく、でも論理的に書かれている。

したいことと、すべきことと、ヒマだからやっていること、これらを区別して自覚せよと。

わたしが前に読んだときからさらに5年も、人生の残り時間が少なくなってきている今、
新たに読み返すと、なかなか鋭いものがある。

偉い人も、偉くない人も、老化して脳が夢世界に行けば、最後はいっしょやん!
向こう岸もこちら岸も、いっしょやん!
と、偉くないわたしは、元・偉い人の脳が老化しているのを目の当たりにして、感じ悪い感想を抱いていた・・・が、
最後は一緒でも、プロセス、過程、それまでが、違う。
「それまで」が大事なのである。

お腹一杯になるまで食べるのは幸福だが、何をどのように食べるか、だ。
たんに満腹中枢を満たすだけなら、何を食べても同じ。

そのプロセス、なにを食べるか、が、「質」だと思う。
上質を知らない人には、上質の意味を理解できないだろう。
ただし、人によって、質のとらえ方が違う。
基準があいまいなので、皆さん、プライドが傷つかないようになっている。

わたしは、ちきりんさんのように、有能でもなく努力もせず、実績も残していないので、
わたしが「ゆるく生きよう」などと言っても、「あんたが、なにを言う」と石を投げられるだろう。

わたしは、プライドが高い、らしい。
内容もさほど無いのに、意識が中身を上回っている。
せめて、プライドの高さを客観的に実証できる、根拠となる「何か」を具現化させるため、努力すべきである。

とかなんとか・・・またもや文字数をやたら使って、延々と、サボり肯定論を説きそうな悪い予感。
表現を変えただけの、自己肯定は、うんざりであるが、・・・まあ、いいんじゃないか迪士尼美語世界

優秀な人には優秀な論理、そうでない人にはそうでない人の論理がある。
お互いに、ニアミスして衝突しないよう、交差点でうまく交通整理がなされている。

そういえば、囲碁対戦では、人工知能が人間を超えたらしい同珍王賜豪
難しいことは、コンピューターにやってもらったらいい、ってことだ。

人間には、勘が働いたり、感情に支配されてミスを犯すが、人工知能は、律しすぎて、精密すぎて、
逆にそれが命取りになる場合がある鑽石能量水
新しい経験値をアクシデントの起こったその場で臨機応変に対応して、追加することが出来ない。
コンピューターもプログラミングしていく。
試行錯誤機能を人工知能に付加して、どんどん性能を上げて行くと、恐ろしく高性能のことが出来ることだろう。

データや数値だけで測ることのできない、人間の目や感覚が必要なことは必ずある。
人間の力と人工知能をミックスさせることが 人工知能を使いこなすキーになる。
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